今日から始める第2部は「新たなる私教育の道標」という大げさなタイトルを付けていますが、第1部のような大手塾を中心としたマクロ的な問題点を洗い出す方式ではなく、指導の本質について、講師や塾の1教室レベルから考えていく内容になります。
メッセージを受け取る方々の方向性は、第1部とは逆に考えます。第1部では、当初は親御さん向けに執筆されながら徐々に塾関係の方向けの内容に変革していきましたが、第2部は塾関係の方向けの内容から始めて、だんだん親御さん向けに変えていく予定です。
また、さまざまな塾に取材してその1日を切りだした記事もやっていく予定ですが、こちらの都合だけでうまくいく企画ではないものですから、おいおいということで勘弁してください。
まず、しばらく考察してみたいのは、「指導者の資質」という点です。学校教員・塾講師・家庭教師などの生徒指導をする人々は、そろって「先生」と呼ばれます。でも、先生って言葉にはどんな意味があるのかと考えた事はありますか。
僕の塾時代、あるアルバイト講師は「先に生まれてきた者」という意味と解釈していました。えっ、それって教える者としての意味がないじゃないですか。
僕の解釈は「先に生きている者」ですね。つまり、生きざまを示すことで子供たち導く存在と考えているわけです。まあ、いろんな解釈があるでしょうからどれが正しいとは決められないとは思いますが、今回は僕の解釈で考えていきます。
そこで問題になるのは、どんな生きざまを示せばよいかということです。社会一般的に「先生」と呼ばれる人々は、生徒指導の瞬間だけではなく、私生活を含めた全てにおいて先生であることを求められるものです。
個人レベルで考えれば、「公と私は別人格でも…」というのも理解できますが「先生のくせに……。」という非難をあびる場合も多々あります。
物を売る商売なら、品質に責任を持つというの当たり前でしょう。しかし、「先生」という職業は、何に責任を持つのか。難しいですね。
僕は生徒の未来の道標となることに責任を持つことではないかと考えます。その分、世間様の見方が厳しくなるというわけです。
ただし、それに見合うだけの「先生」がどれだけ存在しているのかというのは、かなり厳しい状況のように感じます。商売として「先生」する塾や家庭教師の場合、学校教員以上に求められるものは高いわけですから、その基準で考えるとクリアしている者は少ないでしょう。
あらかじめお断りしますが、僕の考える講師像を次回から少しずつ書いていきますが、それをここに集った皆さんに押しつける気はありません。まあ、こういう考え方もあるんだというレベルで判断してください。もちろん、共感なさって取り入れてくれてもよいですし、「いや違う!」と考えて、各人の理想とする講師像を構築してもよいでしょう。
ですから、他の方の意見をコメント欄で募集することもいたしません。どうしても言いたいことがあったらメールフォームでお願いします。そこまで必要ないのであれば、各人の心の中や行動にて昇華していただければ幸いです。
また、塾関係者以外の親御さん方も、理想の講師とは何かを考えつつ、お子さんの指導に生かせて頂ければ幸いです。
では、本題は次回から…。
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