お待たせしました。今日からは第3章になります。第1部から2部を通じて、私教育をいろいろ論じていますと、頑張る私塾の姿がなかなか見えてこないことが反省として残ってきます。
そこで、第3章ではそんなさまざまな私塾の姿をご紹介していこうという趣旨で始めていきます。記念すべき第1回は宮城県の“Study Gym”さんです。
古くからの読者さんなら、トップページにリンクバナーが早い時期から貼られているのでご存知でしょうが、僕がこの塾に注目しているのは、生徒個々を真摯に見つめ、日々指導を進化させている姿勢が、道内の私塾にも参考になる点が多いからです。
それでは、はじめていきましょう……。
◎「Study Gym 2009年への挑戦!」
・第1話 理想とする私塾の創造へ
JR仙石線・多賀城駅を降り、駅裏に向かってとぼとぼ5分程度歩いていくと、踏切の手前から自転車置き場の向こうになにやら四角いビルが見えてきます。
ここの2階が今回の舞台、Study Gymが居を構えているところなのです。
1階のピザ屋さんをしり目に、ビルわきの入り口からStudy Gymと書かれたドアをノックしますと、塾長の長山先生がお出迎えしてくれました。
「先生、今日はいろいろとご苦労話も含めて聞かせてください!」
とまあ、例によって不躾なご挨拶をしつつ、取材を始めたのですが、長山先生には終始にこやかに語って頂きました。
長山先生は、北海道宗谷管内豊富町のご出身です。函館ラ・サール高校ご卒業後、首都圏の著名大学に進学され、大学卒業後はさる大手塾で約20年間教鞭をとられたのちに、宮城県多賀城市に開業なさいました。
----------------------------------
安達(A):北海道に戻って、塾を開こうとは思わなかったのですか。
長山先生(N):多賀城市を選んだのは、なにより自宅から近いことが理由です。塾というのは長時間労働になることは見えていましたし、何かあったときすぐ駆けつけられる場所の方がよいと考えました。
私の実家が近くにあるため、当初候補地に挙げたのは、塩釜市・多賀城市・利府町・多賀城市と境界を接する仙台市宮城野区西端の地域。その中で自分が良いと考える場所に気に入った物件があったのが多賀城市なのです。
また、大手塾の後に勤めた個別専門塾には大変お世話になったので、生徒が移ってこないよう離れた場所にと考えたのも、この場所を選んだ一因です。
(A):なぜ、個人塾を開業しようと考えられたのですか。また、先生の塾の指導形態は個別指導が中心なのですけど、集団指導の塾にしようとは考えなかったのですか。
(N):塾を開業しようと考えたきっかけは、大手塾を退職後に就職した個別指導塾での業務がきっかけです。
大手塾時代とは違い、クラス開設規定数・進度など気にせず授業できることの素晴らしさを知りました。反面、一人ひとりが違う科目なための予習量の多さ、時間割組みの大変さも知りましたがね(笑)。
初めは、この塾で、営業活動に追われないこと、膨大な報告書、時間講師の採用教育、など膨大な業務に忙殺されないことに幸せを感じていたのですが、そこに集まる生徒のだらしなさ、レベルの低い生徒の多さにも驚きました。
その塾は、生徒に実力をつけさせて高校進学をさせることを目的にしているのではなく、どこにも受け入れてもらえない低学力の生徒を受け入れて、対価をもらうことを目的としていました。
ここにいてもただ時間が過ぎてゆくだけで、自分の成長にはつながらない。そう思うと、どうしても自分の塾がやりたくなったのです。
集団指導の塾を選ばなかったのは、運営上・指導上の次のような問題点を抱えていたからです。
①クラスが成立するほど同じ学年、同じ学力レベルの生徒は集められないだろうと思っていた。
②集団授業をやるには自分は苦手な教科がありすぎるため。
その個別指導専門塾では、約5年間働いていました。しかし、そこで働く前から担当経験があったのは、数・理・社のみで、英・国は全く教えたことがありません。国語はともかく、英語がきちんと教えられないようでは集団指導塾はやってゆけないと思っていました。
③成績上位層は大手進学塾にいく。自分の所に来るのは成績下位層だろう。下位層で集団授業は成立しない。
成績下位者はじっと座って話をきいていることはできません。勤めていたのは、科目選択制の個別指導塾です。試験前になっても、契約の教科以外の指導をしません。
選択教科は点数が上がっても、それ以外の教科の点数が悪く、それが足を引っ張って、トータルとしての点数はなかなか上がらないのです。
それで、仕方なく、当時の塾長に内緒で理社科の無料補講をしてました。(私の担当教室の生徒は選択教科がみな英数だったため。)
しかし、そのときの生徒たちは、集中して話が聞けない。ノートは取らない。長時間集中していることはできない。
私は超人的能力を持ったカリスマ講師ではありません。この生徒達をコントロールして授業を展開してゆく自信はありませんでした。
そのような事情もあり、多賀城市のこの場所で個別指導塾として開業したのですが、以前勤めていた塾への遠慮と言いますか、そこの生徒が移ってこないよう離れた場所に立地したわけです。しかし、これが立ち上げの時期を大いに苦しいものにすることになったのです。
(つづく) 次回は、開校1年目の苦労話など…
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
〇『塾・予備校ブログ』を応援よろしくお願いします!
※おかげさまで、6日間連続部門1位です。今後も「ご協力をポチっとな」をよろしくお願いいたします。