2008年3月2日付「北海道新聞 対論」に、千葉大学:明石要一教授と全国学習塾協会:伊藤政倫会長の「夜スペ討議」が掲載されていました。お二人のご意見は別掲載でしたので、観点ごとに抽出し、私の意見を添える形で書かせていただきます。
(1)公教育の機会均等という観点において
◎明石教授
授業料が有料である点が問題です。塾で受講するより安く設定されているとはいえ、月謝は数万円します。これでは学習の機会を均等に与えることにならず、学校の中にストレートに格差を持ち込みかねない。
親の年収の差によって学力の差が生じるのは事実です。これを是正することが公教育の使命の一つで、戦後の日本の公教育はこの使命を果たしてきました。今回の試みはこの大原則に反することになります。
◎伊藤会長
和田中の取り組みは、公教育がすべての子供が学力を伸ばすのに限界があるため、塾に協力を求めた一つの事例です。
体育の授業を受けている子供が将来、北島康介選手のようになりたいと思ったら、スイミングスクールに行かなければならない。それは国語や数学などの教科の勉強にも通じます。そうした問題提起を切り込み、生徒と親のニーズに応えたという意味で、和田中の取り組みは評価できるのではないでしょうか。
ただ、教育の機会均等は守られなければなりません。親の経済力で塾に通えない子供には、公的な補助が必要かもしれません。「夜スペ」のように上位層の生徒だけが対象では不公平感が残ります。中下位層の生徒の成績も引き上げられるような取り組みも必要です。
◎筆者より
教育の機会均等には2つの意味があると思います。1つは「すべての生徒に最低限の知識や教養を与える機会をつくること」いわば与える教育です。もう1つは「それぞれの生徒のニーズに応える機会をつくること」つまり応える教育です。
明石教授には申し訳ありませんが、戦後の公教育が果たしてきたのは前者の方のみで、後者を果たすために協力してきたのが私教育でないでしょうか。日本の教育史を省みても、公と私がそれぞれの立場で教育を支えてきた事実は否定できません。
公教育は、元来特権階級のものとして奈良平安時代は「大学寮」、武家中心社会となった鎌倉~江戸時代では「足利学校」を経て江戸幕府直轄の「学問所」、藩が運営した「藩校」という流れで発展してきています。これらは、特権階級の子弟たちに最低限の教養を与える機関でした。
私教育の流れは、江戸時代における「寺子屋」「私塾」が原点で、教育を求める庶民のニーズに応えた形で発祥したものです。
戦後、GHQなどの指導を踏まえた義務教育などがスタートしたわけですが、公教育は「学問所」「藩校」と同じく与える教育のままでないでしょうか。応える教育に対応してきたものこそ「寺子屋」「私塾」の流れをくむ私教育であって、それが「私立学校」「塾」「予備校」などとして細分化されて発展してきたのではないでしょうか。
公教育の立場で意見する方々は、与える教育の形態・内容などが阻害されることを恐れているだけに感じられます。現在の教育制度が、応える教育に対応しきれていない現状を認識してください。
和田中の取り組みは、与える教育と応える教育の一元化のモデルケースでないでしょうか。立場の異なる教育に一つの教場を与えることこそ、今回の試みの最大に評価できる点であると私は考えます。
もちろん、明石教授・伊藤会長の両者が懸念されている「親の経済力による格差」を解決するのが今後の課題です。しかし、伊藤会長のいう公的な補助は、各家庭への金銭的な補助では実現不可能です。学校側が直接塾と契約し、上位層と中下位層それぞれに機会を与えてこそ、公的な補助でないでしょうか。
ただ、この発想の障害になるのが公教育の現場教師の考えです。前回の東京教組のような、反対するために取りまとめられた主観的な意見は、夜スペの今後を語るには全く適していないでしょう。日教組的発想で教育をとらえる限り、国民の理解を得られないことくらい教育者として気づいてほしいものです。
(2)現場への影響に関しては、次回にて。