(3)練成会グループの台頭と模試の盛衰
(有)畜大練成会が85年夏期に採択した『北海道学力コンクール』は、(株)進学舎の模試経験のなさが災いし、参加数・問題レベルとも『全道統一模試』を大きく下回るものであった。テストとしての精度を憂慮した(有)畜大練成会は、全道統一模試事務局との関係改善を受け、再び『全道統一模試』へ実施模擬テストを変更する(全道統一模試事務局サイドとしても、受験料減収を改善する目的があった)。
『北海道学力コンクール』はその後、全道私塾連盟非加盟塾へのセールス活動を継続し、徐々にではあるが加盟塾を増やし継続していくのである(1) 。一方、『全道統一模試』は、『全道私塾連盟』の形骸化の進行により、徐々に問題レベルが低下し、加盟塾からの不満が募るようになっていった。
1989~90年、(有)畜大練成会は旭川・小樽開講と、札幌地区での教室展開拡大へと増進会への対抗基軸を強化していく。練成会グループの創設である。
札幌地区での教室拡大策の中で、旧札幌セミナー(当時:札幌セミナー東本部)も教室拡大を開始し、もはや「東本部」「西本部」は別なライバル塾として存在するようになった。練成会グループが『全道統一模試』に受験料を支払うことは、ライバル塾に塩を送る結果となるため、同年、再び『北海道学力コンクール』へ実施模試を変更するのである。
(株)進学舎には、塾教材販売代理店であったため、増進会を除く道内塾との関係を良好に保てる利点があった。それゆえ、練成会グループ非参加の4年間に『北海道学力コンクール』を存続させることができ、問題レベルも改善を進めていたのである。
最大受験塾である練成会グループを失った『全道統一模試』は急速に衰退していく。問題レベルの低下はもはや止めるすべもなく、94年には連盟副会長塾であった『あすなろ会』なども『北海道学力コンクール』へ参加し、大きな私塾が受験しなくなった『全道統一模試』は模試としての役目を終えるのである。
その後、大きな収入源を失った「札幌セミナー東本部」は「北大進学指導会」と名称を変更し塾部門のみで経営を続けていたが、98年に第3本部が『想育舎』として独立するなど、一時期の勢いはもはやなくなっている。
※(1):当時、『全道統一模試』に加盟するには、連盟塾の承認が必要だった。独立して個人塾を起こした塾経営者にとって、『全道統一模試』の敷居が高かったことも幸いしている。
(4)その後の北海道学力コンクール
そもそも『北海道学力コンクール』は、『全道統一模試』に対抗する模試として立ち上げたため、標準実施日・出題傾向・テスト印刷形式が酷似していた(余談だが、20年近く北海道を離れていた知人は、単に模試の名称変更としか思っていなかった)。そのため、『全道統一模試』実施塾を取り込むことは容易であった。
運営が(株)進学舎であったことも、塾間の利害が絡みにくいことが幸いし(2) 、明光義塾や能開センターなどの道外塾ですら進出時には『北海道学力コンクール』を採択するようになり、ますます参加数が増えたのである。
また、(株)進学舎にはテスト問題や受験データの累積により、独自教材を作成できる土壌が出来上がった。(株)栄光(栄光ゼミナール)出版部門『エデュケーショナル・ネットワーク』との提携で中3受験用テキスト「サミングアップ」を出版するなど、『北海道学力コンクール』のノウハウ取り入れた教材を道内塾に販売している(練成会グループの入試対策テキストも中身はサミングアップ)。
模試の命は、受験データの精度(データサンプル数)である。今や『北海道学力コンクール』をなくして、北海道の塾の受験指導は成立しないほど、『北海道学力コンクール』は各塾に浸透している。
※(2):例えば、秀英予備校の地元静岡県では、大手「佐鳴予備校」が主催する「静岡県進学模試」が多くの塾を取り込んだ統一模試になっている。無論、受験料は「佐鳴予備校」の収益となる。このため、秀英予備校は別の模試を主催している。