(1)全道統一模試の登場
1980年代の初頭、(株)進学会(北大学力増進会)の全道展開が開始されたことに対して、地域に根ざした各都市の塾は警戒を強めていた。それらの塾のうち各都市に拠点を置く地元塾が連携し『全道私塾連盟』という組織を立ち上げ、増進会への対応策を協議し始めた。
その流れの中で、連盟会長塾となった旧札幌セミナー(現北大進学指導会)が運営する模擬試験『全道統一模試』を北大学力増進会の『合格判定テスト(学力コンクール)』に対抗する模擬テストとして立ち上げたのが、北海道の中学生対象模擬テストのはしりである。
『全道統一模試』は年々加盟塾を拡大し、増進会の『合格判定テスト(学力コンクール)』に対抗できる勢力として成長を続け、1990年頃には年間受験者が5万人規模の一大模擬テストへとなっていった。
(2)全道私塾連盟の衰退と北海道学力コンクールの参入
順調に見えた『全道統一模試』だが、その運営には多くの問題点が内包していた。『全道私塾連盟』は、地域塾の集合体という位置づけで出来上がった組織であったため、加盟塾間の競合は、暗黙のルールとして認められていなかった。また、他の加盟塾は、テスト問題作成サポートをわずかな報酬でバックアップする体制をとっていたが、受験料収入の分配はなく、すべてが旧札幌セミナーの収入となっていた。
加盟塾内には、増進会に対抗する手段が模擬テストのみでは不充分と考える塾があった。それは(有)畜大練成会(現練成会グループ)である。
1984~1985年に、連盟を有名無実化する動きを(有)畜大練成会は起こす。84年の経営権一部譲渡による『札幌セミナー西本部』の開設と85年の『釧路練成会』の新規開設である。特に、釧路進出では連盟副会長塾である『あすなろ会』に対し、事前に何ひとつ根回しをしなかったため、大きな軋轢を生むことになる。そして、釧路練成会地区運営者の無知によって、事件が起きる。
それは、標準実施日を前倒しした『全道統一模試』の実施であった。新規開講無料講習を受講した生徒の中に『あすなろ会』の塾継続生がいたため、同じテストを2回受験し、テスト後に発行された成績優秀者冊子の1位と11位にその生徒の氏名が掲載されたのである。
『あすなろ会』から告発を受けた統一模試事務局は、(有)畜大練成会に対し、釧路練成会の模試受験資格停止の処分を下す。その処分に不満であった(有)畜大練成会が同年の夏期講習で採択した模試こそ、半年前に実施し始めた『北海道学力コンクール』だったのである。