戦後63年あまり、家族制度の崩壊や教育改革によって、集団のために個があるという思想から、最初に個があってそのまとまりが集団であるという考え方に、社会は変革していると私は考えています。
現代の若者たちの多くは、まず自分を認めてもらうことから存在意義をアピールすることが色濃く出ているような気がしてなりません。
例えば、90年代のメガヒットアニメ“新世紀エヴァンゲリオン”には、そういった若者たちの思想やメッセージが込められていたような気もします。
主人公が父親に対し「僕はいらない子なの?」と問うたり、ヒロインが母親に対して「ねえ、私を見て…。」とアピールする。
自己を維持するためには、他に自分を認めさせること。そのために献身的になることを美しいと考える若者たち。
そういった世代が、塾講師をしたならば、受け持った生徒たちに対し、全力を注いで指導をする……。あり得ることです。
“金目当てでやるなら〇〇会は辞めたほうがいいよ。生徒が迷惑するし、これ以上、講師の質を落としたくないしね…。
〇〇会はね、他の塾よりはるかに勉強会や教材研究の時間が多いよ。当然無給のね。それでも教えることが好きで、あるいはいい授業がしたくて続けてる人の集まりが〇〇会なんだ。”
これは、D君の同僚だったアルバイト講師が、職を求めてきた友人に放った言葉です。こんな気質の講師が、この塾を支えているということなのでしょうね。
彼らにとって、生徒を指導するというのは何事にも代えがたい神聖な時間なのでしょう。きっと、自己の存在をこの時間の中で見出しているのでしょうね。
ただ、これが社員の考え方であれば、社内での存在意義をアピールする上で納得できますが、大学生という身分であるアルバイト講師にとっては、両刃の剣ではないでしょうか。
熱心なアルバイト講師ほど、大学の授業をないがしろにしがちという傾向があります。将来、塾業界に身を注ぐというのであればわかりますが、そうでない限り危険なことです。
一時の感情に流されて、一生を棒に振る可能性もあるのではないでしょうか。
ところで、講師達の生徒観はどんな感じなのでしょう。例えば、講師の思いどおりにならないくらい「やる気のない生徒」がいたとしたら……。
やる気のない生徒を影で馬鹿呼ばわりする会話が講師間であったとします(というより、当たり前にあります)。
熱心な講師は、こう考えます「やる気を出させられないのは講師に能力がない」。
当然、講師仲間から激しい反論が来ますが、口には出さずとも、次のように考えている者が多いようです。
“塾という仕事はどんな客であっても成績を上げることで、そのためにはやる気を出させることが必要だから、「やる気を出させられない=仕事ができていない」という考え方が正しい。
そのためには、やる気を出させるために、授業や会話をものすごく工夫している。
結果的に、生徒からの人気は高いことが多いが、そこまでしたくないみたいな考え方の講師達からは確かに煙たがられている。
でもどっちがいい講師なのかは明白なはず!
「やる気がないなら塾にいるべきじゃない」は生徒達自身が考えるならいいが、やる気を出させるべき講師が言う言葉じゃない。どんな事情で来ていても客であることには変わらないのだから。”
本当に、これが社員講師の言葉だったら、涙が出るほど感動ものです。でも、彼らはアルバイト講師なのです。
もし、この思いの方々が自ら起業して学習塾を作ってくれたなら、それが北海道の塾業界を変革するパワーになるかもしれません。
6章における、営利・業績中心の学習塾が、全道的シェアを伸ばしてきた背景には、このような献身的なアルバイト講師の存在があったことを肝に銘じてほしいものです。
ただし、彼の言葉の中には、金銭目当ての講師も存在していることを示唆している部分もあります。
「アルバイトは所詮アルバイト」…。そんな考えに染まりきった講師に担当された生徒こそ悲劇でしょう。ある程度の講師としての倫理感覚は、塾会社の方でしっかり教育することは教育産業としての義務でないでしょうか。
ところで、20代前後の未熟な正義感や精神性は、時として誤った行動へ向かうことがあります。その話は、次回以降にて。
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