前回の話にあったR会グループのつまらない意地とは何かといいますと、別項目“北海道学習塾ガイド&マップ『北海道>学習塾>02練成会グループ』”の沿革を見ていただけるとわかります。
詳しく説明すると、R会グループには私学(高等学校)設立という創業以来のプランがあり、勇払郡占冠村トマムに土地を確保し、入れ物の準備はしてはいました。この話を知人から聞いた時は「なんてすごい発想なんだ。」と感心しましたが、現実的には教務ノウハウが全く培われていなかったということなのです。
なお、この計画はもはや頓挫したようで、2000年前後の私立高校の生き残り活動(中高一貫化や進学色を強化したコース設定など)に乗り遅れて、もはや参入不可能というのが業界の統一した見解です。
ともあれ、高校設立のためには高校生部門を塾として開設し、研究する必要がR会にはあったのです。おりしもHZ会が高校生部門を開設したので、おひざ元の帯広・北見から対抗手段としても有効なために開設に至ったものと私は考えています。
しかし、高校生部門は中学生のようには簡単にはいきません。2つの大手塾とも克服が難しい問題点を抱えてしまったのです。
(1)教室設定上の問題点
特定中学校を対象とする分校小教室会場を設置する場合、半径2~5km以内に対象生徒が600~1000名在籍していれば教室を運営できます。しかし、通学区域が莫大に広い高校生の場合は1高校900名以上であろうとも、中核教室を設定することが難しくなります。当時は、高校生専用教室という発想もほとんどありませんでした。
大手2塾は、本校システムを採用していた関係上、高校部門を本校集約へと進めていきますが、対象の進学校とのアクセスがよいとはいえない場合が多く、集団授業でも10名未満となることがざらにありました。
(2)教科指導上の問題点
中学生と同様に、学校授業を補完する補習塾の形式でどちらの塾も指導を立ち上げました。しかし、各高校の教科書が中学校のように共通ではないため、複数の高校生での学力別のクラス設定はほぼ不可能です。そのため、高校別のクラス編成をする関係上、人数効率の低下を招きます。
また、指導教科に関しても、社会・理科の各高校ごとでの履修科目と学年の食い違いが大きいため、中学生の5教科必修から英数2教科必修またはいずれかの選択という形式へ転換せねばならなかったのです。
(3)生徒の気質・講師の問題点
中学生時代に大手塾に通っていた生徒の多くは、高校部門でも中3時代の講師に継続して担当してもらいたいと考えます。しかし、中学生をメインに考える塾側は、若い人気講師を中学生に押しとどめます。
高校生を担当する講師は、知識重視になるため年齢が高いケースも多く、生徒たちの望む授業をできないことが多かったのです。また、高校部門に割くことができるスタッフも限られていたため、少数講師の運営の上、中学生に不人気ないわば二軍講師の部門になったケースもありました。
このような、初動でのマゴツキが生徒のニーズを大手塾から個別塾・予備校へと指向させる結果へと導いてしまいます。90年代の個別指導塾の台頭と予備校バブル時代になり、ますます塾の高校部門は停滞を招きます。
特に迷走がひどかったのはR会グループです。帯広に高校生専門部門『Gゼミナール』を立ち上げながら、開設5~6年で責任者が3回も代わる体たらく。指導方針も風見鶏状態でした。その上、帯広と北見の教務連携もなく、あたかも個人塾の指導のように講師任せで、10年以上かけても統一した教務システムを構築できませんでした。
その迷走を象徴するのが91年の函館進出です。初代本部を道内有数の進学校である函館中部高校の目の前に開設しながら、高校部を開講しなかったのです。10年近く後に高校部門を立ち上げましたが、地域からは「高校生を指導できない大手塾」というレッテルを貼られていたので、後の祭りです。
こうして「R会ブランド」による高校生部門が手詰まりとなったR会グループは、打開策として「東進衛星予備校」のFCとして生き残る道しかなくなったのです。